開きかけた口元から“ため息”のように漏れた青春
マーガレット(ドラァグクィーン)

ケツ、いいッスよねぇ。たまんなかったッスよねぇ……。あら、ごめんなさい。正しくは「おしり、いいわよねぇ」って言うべきね、この場合。だって『花蓮の夏』だもの。もうちょっと上品に言わなくっちゃ。だって、ブライアンのおしりだもの。ジョセフのおしりのことだもの ねぇ!
主役の二人……えこ贔屓せずにいうならケイト・ヤンも入れて三人 (ただし、彼女のおしりは出てこない、ざまみろね!)。アタシに言わせれば、この三人をキャスティングした時点で、この作品の成功は約束 されていたんだ と思うわ。皆、実に若い、本当にきれい。でも、ちゃん と演技できる。そこが素晴らしい。おしりのきれいな子だったら他にもいるかもしれないが、その上、演技が出来るってのはそうはいない。さすが、「金馬奨最優秀新人賞」を射止めただけのことはある。
ブライアンが台北ではじめて少女と夜を過ごすシーン。くちびるを重ねてはみたものの、彼は気づく。自分が選び、背負っていくべき苦悩を。怒りとないまぜになった絶望、とまどいと哀しみ。まるで、よわくて、うつくしい金魚のように、かすかに開いたくちびるが、小さく、小さく、震えていることで、それが、わかる。
アンタさぁ、半開きの口であれだけの演技が出来るってスゴイことよ。普通だったら、ただの間抜け面よぉ。
ケイトって女も、なかなかやるわよ。台北の一夜ですべてを察した彼女は、学校でバスケットに興じるジョセフを見かけ、そっとコートに近づき彼を見つめる。その時の口元!
開いたくちびるの間に、無邪気さと残酷さ、淫らさまでを込められる。素晴らしい演技。もしかしたらあの表情、あの半開きの口は自然に出てきたものなのかもしれない。それこそ、彼女の女優としての天性というものだわ。
ところで、かつて映画帝国ハリウッドにはタブーがあった。将来、売れようと思うならゲイの役はやってはいけない。たとえ殺人犯を演じようと、ゲイ役だけはダメ。“色が付いてしまう”からだ。一度、ゲイ役をやれば以後の役が付きにくくなると考えられていたのだ。それは俳優としてのキャリアを失いかねないタブーであった。ところが、1980〜90年代にこの状況に変化が起きる。ルパート・エヴァレットをはじめとするヨーロッパ系の美しき俳優達が、注目を浴びようと果敢にこの“特殊”な役柄に挑んだのである(もっとも、エヴァレット自身はゲイであるが)。そして、ご存じのようにイギリス映画『アナザー・カントリー』は大ヒットとなり、彼の演技力は世界的な評価を受ける。今や、映画界におけるゲイ・タブーはなくなった。 しかし、ブライアンとジョセフが今回の素晴らしい作品に取り組むことが出来、成功をおさめられたことも、実はこうした変化を求めてきたゲイの歴史の流れの上にあるのである。じゃなかったら、アタシ達も二人の美しいおしりを拝めなかったってわけよ。ありがたや、ありがたや。これからもどんどんゲイ役をやって、バンバンおしり出して欲しいもんよね。特にサーフィン好きの海の男ジョセフは、水泳部とかを舞台に体育会系ストーリーでその鍛えられた肉体を堪能させて欲しいものだわ。
そんなジョセフのためにラストシーンが海岸になったのではないかと思うほど、海を背景にした彼の演技は見事だ。やはりここでも注目すべきは口元である。わずかばかり受け口の、半開きとなった彼の口から発せられた言葉は……。なんと痛ましい告白であることか!
その言葉をもっと早く、もっと十分に伝えられていたなら、この三人の物語は大きく変わっていたのかもしれない。だがしかし、青春とはいつも言葉足らずなもの。伝えられないもどかしさだけが開きかけた口元から、ため息のように漏れていくのだ。
……ああ、青春ねぇ(とっくの昔で忘れちゃったけど)。せつないわね!
